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療育発祥の地!高木憲次記念ミュージアムで療育の原点を学びつつ、心身障害児総合医療療育センターで療育のリアル現場を視察させていただきました

 

  皆さんこんにちは。

東京空色へようこそ。

ご訪問ありがとうございます。

今回は、やくいっけん(←HN。約一間(やくいっけん)、背丈がそれくらい)が、療育発祥の地に行ってきた件、ご報告いたします。

 

療育発祥の地

す、、すごいパワーワードだ、、療育発祥の地、、、でも、例えば「療育手帳」とか!私たちが普段から、児者問わず使ってる「療育」という言葉、それって実は1942年を起点として広まっていった経緯があったりして。。しかも、この地、この場所から療育が始まった!というバースプレイスがあったりする!!!、、って、マジか、、、これはもう、俄然アツくなるのは必然で、いつもの多動性を遺憾なく発揮し突撃してきた次第。

場所は、東京都板橋!

現在は、心身障害児総合医療療育センターとして運営されてるんですが、ココがまさに療育発祥の地!!!

さらに!この医療型障害児入所施設(病院兼入所施設)の中に、オレたちの高木先生を奉る「高木憲次記念ミュージアム」がある訳ですよ皆さん!!

以下、現地の様子を、ちょっとした療育ヒストリーも交えて、いつも以上にマイク握りしめてお届けいたします。

 

「療育」の立ち上がり

現場をご案内する前に、まずは、療育の創始、その立ち上がりヒストリーをご紹介。歴史を知れば現場理解に深みと奥行きが出てくるのだ!

実は、療育ヒストリーって、大正から昭和にかけて、

高木憲次先生(1888〜1963)という東大の整形外科医師・教授が、生涯をかけて取り組んだ歴史そのものだったりして。

個人的には、大きく5つポイントを掴んでおけばOKで、

  1. 「療育」そのものの基礎理論は、大正13年(1924)の高木先生の論文「クリュッペルハイムに就いて」で論述されたのがベース
  2. 論文をもとに、昭和17年(1942)に「整肢療護園」が開園。ただ、戦争により接収されたり焼失したりエライ目にあった
  3. 戦後になり、昭和22年(1947)に児童福祉法が制定。オレたちの高木先生の尽力によって児童福祉法第43条に肢体不自由児施設が法的、制度的に位置づけられた
  4. それをベースに、昭和26年(1951)に「肢体不自由児施設・整肢療護園」として再建復興され、現在の「心身障害児総合医療療育センター」の基礎が作られた
  5. 同じく昭和26年、機関誌「療育」第一巻第一号に、療育の定義がなされ、ココから療育という言葉が広がっていった

ということで、まさに戦争戦後を経てきた激動ヒストリー。。。

以下、個人的私見も交えつつ、ポイントご紹介。

まずは、

「療育」の基礎理論は、大正13年(1924)の高木先生の論文「クリュッペルハイムに就いて」がベースになってる件。てか、大正時代て、、、

この「クリュッペルハイム」、実はドイツのミュンヘンにあった身体障害児施設の名称で、要は、異国留学時にココを見聞されたオレたちの高木先生が、日本にもこれが必要だ!ということで、論文として発表された次第。論文の中で、

クリュッペルの救済については整形外科が主要な責任者であるが、ただ疾患部位の治療だけをしたのでは不十分で、更に進んで教育を授け適応技能を養い、自活の道の立つようにしなけれは独立市民の資格にはならない。

とのことで、

ポイントは、この時点で「自活」というワードが登場してるってこと。

自活=自立生活と置き換えてもいいと思いますが、療育の立ち上がり、その初期構想の中にすでに、社会につなげてこそ療育であるという中核理念があったというのは激しく重要であります。

さすがドイツから学んだこともあり、外科的治療だけでなく、教育や、適応技能を養う=職業訓練が療育の中に入ってきていて、それもこれも全て、自活の道の立つようにしなければ療育とは言えん!ということで熱き想いと合わせてチェック。

 

この論文をもとに、昭和17年(1942)「整肢療護園」が開園。ただ、戦争により接収されたり焼失したりとエライ目にあいます。

もともと整肢療護園は、高木先生の私有地に建てられたのですが、戦争ということで国に接収、国家総動員!なんだけど、東京大空襲で焼失してしまい、なんと、接収の記録も焼けちゃったので戦後、元々オレの土地ってのが証明できず、仕方ないので、国のモノってのは変えず運営を民間にという「国立民営スキーム」にたどり着きます。

そんな経緯があって、昭和23年(1948)に高木先生を会長として発足された「日本肢体不自由児協会」が、昭和26年(1951)に厚生省から委託を受ける形で運営スタート、その流れで現在に至ってる次第。

 

最後に、昭和22年(1947)に児童福祉法制定について。

オレたちの高木先生の尽力によって児童福祉法第43条に肢体不自由児施設が法的、制度的に位置づけられ、それをベースに、昭和26年(1951)に全国に先駆け「肢体不自由児施設・整肢療護園」として再建復興されました。コレが、現在の「心身障害児総合医療療育センター」の礎になってます。

さらに、同じく昭和26年、機関誌「療育」第一巻第一号刊行。この中で、療育の定義がなされ、ココから療育という言葉が広がっていった次第。

激しく重要な療育定義は以下の通り。

療育とは、現代の科学を総動員して不自由な肢体を出来るだけ克服し、それによって幸にも恢復したら『肢体の復活能力』そのものを(残存能力ではない)出来る丈有効に活用させ、以て自活の途の立つように育成することである。

とのことで、

これまでの歴史経緯含めて、感動に打ち震えながら噛み締めたい言葉であります。

ポイント2つ。

  1. 療育として「医療」「教育」「職能の賦与」の3本柱で総合的な関わりとして提唱されたこと。
  2. 自活の途の立つように育成する」とあるように、自立生活につなげてこそ、つまり社会につなげてこそ療育であるとしてること。

であります。

①の「職能の賦与」はすでにお分かりの通り、ドイツから学んだ職業訓練だし、②の「自活」も、初期構想から脈々と引き継がれていることが伺えますよね。信念ココに結実す。ここに想いを致したい。

その他、個人的には、「現代の科学を総動員」「『肢体の復活能力』そのものを(残存能力ではない)」といったムキムキ感あふれる言葉にもズキュンDQNであります。

ということで、ざざざっと歴史をかいつまんで来ましたが、そのほかについても是非ご自身で掘ってみていただけるといいかなと思います!

 

高木憲次記念ミュージアムと療育の碑

ココからは、そんな激動の歴史を踏まえつつ、療育を立ち上げられたオレたちの高木先生を奉る「高木憲次記念ミュージアム」の様子を、療育の碑と合わせてご紹介。

なんせ、療育発祥の地ですから。もはや、これはオレたちのパワースポットといっても過言ではない!!

場所は、心身障害児総合医療療育センター敷地内にある「療育研修所」内!入って奥、左!!

実は、できたのは最近で、令和4年10月。日本肢体不自由児協会設立80周年&整肢療護園創立80周年記念事業として開設されました。いや、ありがたい。。。こういう場所があるから私のようなぽっと出が療育ヒストリーを嚙みしめられる訳ですよ皆さん!

 

▲おおおおおおおおお!!!!!!コレが高木憲次記念ミュージアム!!!療育発祥の地!オレたちの心のふるさと!!!

 

▲入るや否や高木憲次先生の足跡年表が迎えてくれる!!!胸像もあるやないか、、、ありがたや〜〜〜

 

▲高木先生にまつわる資料が展示されてる!眩いばかりの療育の光に目があぁ!目がああああああああぁ!!!

 

▲高木先生の医師免許証だと???スゲー!!!って、医師免許証のフォーマットってこのころから変わってないのねん

他にも、さまざまな資料が展示されていて眩しすぎる世界が、、、

▲おや?これは弊社代表の山川氏!!!さりげなく展示資料を読み始める、、、って、その本、英語?ドイツ語?オランダ語??、、社長、スゴすぎでしょ!??

ということで、

とにもかくにも療育に携わる者としては眩しすぎて涎が止まらない場所でございました。その他詳しくはコチラのページでチェックされてください→高木憲次記念ミュージアム紹介ページへ

 

▲さらに、敷地内には療育の碑が建っている!!!まさにレジェンド!この碑の前で療育への決意を新たにするんだ、、、

 

心身障害児総合医療療育センター

最後に、心身障害児総合医療療育センターについて少しご紹介。現在、主に身体障がいのある児者の方々へ医療・福祉サービスが提供されてます。

▲ミュージアム見学に加えて、療育研修所のK下さんがセンターについて丁寧に案内・説明をしていただけました。K下さん、ありがとうございました!!!

現在は、

  • 整肢療護園:18歳までを対象とした療育支援の場。病棟と入所、在宅支援プログラムなどを実施されてます。
  • むらさき愛育園:療養介護の場。施設入所サービスとして重症心身障害者の皆さんの生活支援をされてます。

を中心に、その他、外来、リハビリ、補装具作成、研修・研究など幅広く事業を展開されてます。

そして!!

なんと、看護師のI藤さんがセンター内を案内していただけるという光栄に預かることができました!

センターでの様子はコチラのインスタをチェック。ぜひ登録されてください。

コチラから!!→心身障害児総合医療療育センター インスタページへ

特に、重度心身障がい児の方々の支援現場、親子入園支援の現場は、感動と学びしかなく、、その内容と専門性もさることながら、特に印象的だったのが、看護師さんや介護士さんなど、中で働いてらっしゃるみなさんがとにかく明るい!!!笑顔が溢れる素晴らしい職場でした。マジで感動。

隅から隅まで詳しく案内、説明をいただけて、、I藤さん、本当にありがとうございました!!

 

個人的な感想として、視察見学の間ずっとテンション上がりっぱなしで、めっちゃ学びと刺激をいただきつつ、、。特に、大正時代から日本で立ち上がった療育思想が、戦争災禍にも負けず施設や法律のハード・ソフトをまとってきたこと、しかしその核心には自活、つまり社会につなげるという熱き炎がゆらめき燃えていること、そうした火が今の時代に支援実践している私たち一人ひとりに受け継がれておるのだと壮大な歴史の中で位置づけできたことは今後の支援に必ずや深みと奥行きが出てくるのは間違いなく、、。そんな中で、何度も申し上げますが、センターで働いてらっしゃるK下さんやI藤さんはじめ職員の皆さんがとにかく明るい!ものすごい大変な支援をされてるのにも関わらずそういう大変さを一切感じさせないまさにプロフェッショナリズム溢れる職場だったのが本当に学びで。。。当社も負けないくらい専門性と明るさを持って支援実践していきたいと決意を新たにさせていただきました。

皆さまも是非、高木憲次記念ミュージアムへお立ち寄りくださいませ。激しくオススメです。

 

ということで、現場からは以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回の更新をお楽しみに!

 

コチラも是非!東京空色の療育の取組みです

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